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爪先
ポタリ…ほら水音に似た音響。 それは、現世にとどまる事を望む、うごめく闇の一端。 指先から鮮血にも似た色のそれが、ポタリと落ちる。 もうこうなってしまえば、自分の意識だけでは戻る事ができない。完全に感覚がずれて、あちらの世界にもぐってしまっているのだから。 無音に近いその空間で、聞き覚えのある音はその水音なのだと思う。 吐く息は凍るように冷たく、指先の感覚がひどく曖昧になっていた。だけれど、指先から溢れ零れおちるそれは温度がある。熱いような、冷たいような。 浮いているのか沈んでいるのか、それすらも分からなくなる。 助けてほしいのか、それともこの闇に飲み込まれていたいのか……思考回路が回らなくなる。 ………全てが、元ある場所に還りたがってるのだ。
「バカヤロー」 声が聞こえた。そして、指先にもっと熱い体温。 「呑気に寝てんな、くそっ…」 舌打ちが聞こえて、ゆっくりと目を開けた。そして、視界に広がる空間は見覚えのある部屋の天井。 ナルトは、ふうっと息を吐いた。 「…ごめ、ん」 「謝んな。ったくよ…お前、死にてえの?」 「うん、わかんなくなんだってばよ。全部、考えた事も記憶も食われるから」 ナルトの額に掌が当てられた。そこから入り込んでくる、暖かい光が瞼の裏で弾けた。そして、見覚えのある痛みが襲ってくる。 「こんなになるまで放っておくバカがどこにいるんだ?」 「…あ〜、オレ?」 ナルトは闇のモノをひきつける体質である。家は古くからそれと対峙する事を生業にしている家系だ。 それなりの対処法も知っていると言うのに、彼は少し変わった性格をしていた。 異形の者を調伏するためにある己の力を、違うものに使う性格である。きっと、相容れない世界を一つにしたいと考えているのだ。人型のなれの果てのものよりも、自然現象に近いものに対する慈愛が強すぎる。 それに引き込まれてしまえば、自分も闇の一部となると言うのに。 「お前の中から抜く…それ相応の苦行になるが。お前の招いた結果だ、受け入れろ」 「それも…分かってるってば」 弱弱しい笑みをシカマルに向けたナルトは、息を一瞬止めて腹のあたりに神経を集中させる。シカマルは素早く印を結んだ。その指先から、闇色のものが出てくる。霞にも似てそれでいて自分の意思を持っているようにも見える。細く鋭くなった黒い影が、ナルトの臍の中に触手を進めた。 「ん…くっ……」 「はぁ…けっこう奥まで巣食ってんな。意識、なくすなよ?」 「いた…ッ…」 「何度これを繰り返したら、お前は学習するんかね?」 シカマルの伸ばした闇色の触手。腹の奥深くに巣食ったものを見つけると、躊躇するようにソレに近づく。ナルトの中でのうのうと力を蓄えている異形のものは、闇色のものに敵愾心を見せる事はなかった。己に近い闇に気を許しているのだろう。それをシカマルは利用する。くるりと形のないものに神経を集中させながら拘束すると、やっとソレも気がついたようだ。温床から引きづり出される畏怖に激しく暴れだす。 もちろん、ナルトの身体もそれに感化されるように暴れ始めた。シカマルはあいている方の手で、もう一度素早く印を切ると、自分の操るものによってナルトの身体を拘束する。 根付こうとしているものを引きはがされるのだ。ナルトの身体にもそれ相応の激痛が走っているはずである。しかし、シカマルはそれを承知でこの行為を続けた。 少しくらい痛い目にあっても同じ事を繰り返すのだから、これは罰なのだ。それを身をもって分からせる為には少々の強行も厭わない。 「ん…あ…っ……」 シカマルの放った式が、ナルトの中のものを完全に捕まえる。そして、拘束したままナルトの中からゆっくりと引きはがしにかかった。 「……ッ、あ…」 「息はしてろよ、ナルト」 ずるりと臍の中から出てきた物体を、ある程度の所まで引き出すと一気に引き抜いた。 「うわあああああっ!!」 大声と共に激しく暴れるナルトの身体は、シカマルの黒い触手によってしっかりと縫いとめられている。シカマルは出てきたものを拘束しながら、清水を振りかけた。それが浸透した部分からどろどろと溶けだした赤黒い塊が小さくなるのを待って、瓶の中へ閉じ込めると和紙に血で書いた呪によって完全に動きを封じた。これで数日の内に蓄えてきただろう力は衰退し、元あるべき場所に返せるはずである。 「は〜…」 そして、ナルトの身体的なダメージと同じくシカマルも相応の消耗を強いられるのだ。 「いい加減にしてくれよ……俺んとこ来る前に親父さんにどうにかしてもらえっての」 「だって、父ちゃんなら…そいつ、殺しちまうだろ?シカマルはそうしねえもん」 「だったら、百歩譲ってやるから…捕まえた時点で俺んとこ来てくれよ。じゃないと、俺にだってお前の命の守りまでできる自信ねえし」 「だって、シカマル。ゼミの合宿で居なかったじゃん」 「ちっとは、反省してくれって…」 シカマルの家も古くから、ある式神との契約を結んでおり所謂「陰陽」と深くかかわる一族なのだ。だが、格式的に比べると、ナルトの家の方が高い。本家が波風の家ならば、奈良はその分家ともいえる一族なのだ。 二人が最初に会ったのは、小さな頃だったけれど。 その時には、もうナルトはあるものをその身体に封印されていた。それを、定期的に外へ出し封じているのがシカマルの役割。それがどうして自分に与えられた使命なのか、納得できない部分は大いにあるが、それはナルトと自分が同じ年で、ナルトがシカマルを受け入れやすいのではないという大人の配慮だった。 「オレ…帰る」 「ああ?そんな身体なんだから、今日は泊ってけよ。今から、この部屋の結界貼り直すし…雑音なく眠れるから少しは回復も早えーだろ?」 「うん…」 それはナルトの望んでいた言葉で、こてんと枕に額を寄せた。そのナルトにシカマルは湯飲みを手渡す。 「飲め」 「苦いから、やだってばよ」 「バカ、飲めったら飲め」 「嫌なのに……」 それでも最終的には、彼の言葉に従うのだ。顔をしかめながら口をつける。シカマルは、くすっと笑いながら瓶の中で暴れているものに視線を移した。少しずつ、清水の浄化によって動きは弱弱しいものに変わっているが、油断はならない。ある程度、こいつが落ち着くまでは静かな場所に封じておく必要があるだろう。
二人の関係は変わらない。 出会った頃から、ずっとシカマルは自分に課せられた使命を全うしてきたし、ナルトもそれを受け入れている。 そう、二人の関係が変わるのは、あと少しだけ未来の話。 もう、心は動き出しているのだけれど……
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日記SSより移動 2015/06/05